東京地方裁判所 昭和31年(行)22号 判決
原告 国
訴訟代理人 河津圭一 外三名
被告 中央労働委員会
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
被告が昭和二十九年不再第三三号再審査申立事件について昭和三十一年一月十八日附でなした命令のうち、「一、初審命令中沖津茂孝に関する部分を取消す。二、再審査被申立人神奈川県知事は沖津茂孝を昭和二十八年十月二十二日に遡つて原職又はそれと同等の職に復帰させ、かつ同日から復帰にいたる期間に同人が受ける筈であつた給与相当額を同人に支給しなければならない。」との部分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。
第二、請求の原因
一、訴外沖津茂孝はもと原告に雇用されていたいわゆる駐留軍労務者で、昭和二十七年二月十五日から駐留軍YED相模本廠ストレーヂ・レバープールに、昭和二十八年一月二日から同廠ストレーヂ・インスペクションに、各会計係として勤務していた。同廠司令官は昭和二十八年十月二十二日同訴外人を解雇した。全日本駐留軍労働組合神奈川支部YED相模本廠分会(同訴外人の所属する全駐留軍労働組合神奈川地区本部相模原支部の前身)は、同訴外人に対する解雇並びに訴外大城隆外三名に対する解雇はいづれも労働組合法第七条第一号の規定に違反する不当労働行為であるとし、昭和二十八年十二月十五日神奈川県知事を被申立人として神奈川県地方労働委員会に救済の申立をした。同委員会は昭和二十九年七月二十八日附で訴外労働組合の申立を棄却する旨の命令(別紙第一記載)を発し、この命令書写は翌八月九日同知事宛送達された。
労働組合は同月二十三日この命令に対し被告委員会に再審査の申立をした。被告委員会は、訴外沖津茂孝に対する解雇は結局駐留軍が同人の活発な組合活動を注目し、ことさらに保安上の理由に藉口したものであると判断し、昭和三十一年一月十八日附で「一、初審命令中沖津茂孝に関する部分を取消す。二、再審査被申立人神奈川県知事は沖津茂孝を昭和二十八年十月二十二日に遡つて原職又はそれと同等の職に復帰させ、かつ同日から復職にいたる期間に同人が受ける筈であつた給与相当額を同人に支給しなければならない。三、その余の再審査申立を棄却する。」との命令(別紙第二記載)を発し、この命令書写は同三十一年一月二十八日同知事宛送達された。
二、しかしながら訴外沖津茂孝の解雇は保安上の理由によるのであつて同人が正当な組合活動をしたかちではないから、本件解雇を不当労働行為と認定した被告委員会の命令はその限度において違法である。
(一) 本件解雇の理由
訴外沖津茂孝に対する解雇は「保安上の理由」によるものである。
日本政府、米国政府間に締結されている「日本人及びその他の日本在任者の役務に関する基本契約」の第七条により駐留軍労務者は駐留軍の指揮監督管理を受け、駐留軍において日本政府の供給した労務者を引続き雇傭することが米国政府の利益に反すると考える場合には即時職を免じ、スケジユールAの規定(賃金、労働時間その他の労働条件を定めるとともに、解雇は日本政府または駐留軍が直接労務者に申渡すべき旨定めている)によりその雇傭は終止され、しかもこの雇傭を終止する駐留軍の決定は最終的なものである旨定められている。駐留軍は訴外人毎基地内において継続して就労させることが米国政府の利益に反する(昭和二十九年二月三日附附属協定第六十九号第一条A項(2) に相当)、と判断し、前記基本協定にもとづいて雇傭を拒否したのである。
もつとも保安上の理由についての具体的事実については駐留軍の高度の機密保持の必要上日本政府に示されていないけれども、日本政府も保安上の理由の存在することを確信する。なぜならば、駐留軍において軍労務者を保安上の理由で解雇する場合は、思想問題について専門的知識を有する高級将校七名乃至十名で構成する極東陸軍保安委員会が軍の蒐集した資料に基いて慎重に検討し、諸資料が完全に一致し、委員会の構成員のうち一名の反対者もなく決定する場合に限られ、この決定にもとづいて極東陸軍司令官は基地司令官に対し該労務者を基地外に排除するよう命令を発するものだからである。またしたがつて保安上の理由による解雇の決定は現地の労務担当士官又は基地司令官の手をはなれ、極東陸軍保安委員会においてなされるのであるから、労務者の日頃の活發な組合を嫌悪してこれのために保安上の理由に藉口して解雇を決定することはありえない。
(二) 本件命令書(別紙第二)、理由記載事実について。
(1) 命令書理由第一項、第二項の事実(雇傭欄係及び保安解雇の経緯)については争わない。同第三項の(一)(沖津の解雇に対する判断)のうち「沖津は昭和二十七年十月全日本駐留軍労働組合YED相模本廠分会に加入し、以来組合活動に積極的に従事し、同年十一月副委員長兼執行委員に推され、同年十二月十一日及び十七日駐留軍労働者の最初の全国統一ストライキが行われた際には副委員長として全般の指導に当つた」ことおよび「昭和二十八年一月初旬ストレーヂ・レバープールからストレーヂ・インスペクションに配置転換となつた」ことは争わない。
(2) 命令書は訴外沖津茂孝が極めて活発な組合活動をしたので軍側もこれに注目していたと判断するが、同人の組合活動は何ら活発なものではない。
(イ) 沖津が組合の副委員長当時に現実に組合事務執行の中心となつたのは副委員長橋本隼朗で何事も同人が一人で切り廻し、労管との団体交渉及び駐留軍・労管・労働組合の三者会談にも沖津が出席したことは一度もない。
(ロ) 昭和二十八年四月沖津が副委員長に再選されなかつたのは団体交渉などにも出席せず、余り活動せず、組合を指導する力量がなかつたので組合員の信望を失つた結果である。組合機関誌の責任者は執行委員八木某であつて沖津ではなかつた。
(ハ) 軍は昭和二十七年十二月下旬沖津に配置転換を命じたことはない。昭和二十八年一月三日にレバープールからインスペクションに配置転換させたのは久保某が十二月に退職の申出をなしたのでその後任としたのであり、又職種に合せた配置転換をしたもので、配置転換後も労働条件や組合活動について異つた待遇はしていない。
(ニ) 昭和二十七年十二月のストライキは全日駐及び全駐労の本部共斗委の指令にもとづくもので、沖津の提唱によるものではない。同ストライキ及び翌二十八年八月のストライキには役職上或る程度の活動をしたかも知れないが、指導的地位にあつたのは沖津のみでなく、沖津以上に活動したものが、何ら不利益な取扱いを受けなかつたことは組合活動を理由とする解雇でないことを示している。
(3) 命令書は昭和二十八年十月国警相模地区上溝警察署刑事後藤某、遠藤某が沖津に質問したことと本件解雇と関連のあるように判断するが右警察官の調査は駐留軍又は労務管理事務所より依頼したものではなく、従つて本件解雇とは何ら関連を有しない。
第三答弁
一、主文同旨の判決を求める。
二、請求原因第一項の事実は認め、第二項の主張は否認する。第二項(一)(二)の事実に対する被告の主張は本件命令書(別紙第二)理由記載のとおりであつて、原告の主張中右に反する部分は否認する。
第四証拠関係<省略>
理由
一、訴外沖津茂孝は昭和二十七年二月十五日より原告に雇用されていたいわゆる駐留軍労務者で、同日より駐留軍YED相模本廠ストーヂ・レバープールに、昭和二十八年一月二日より同廠ストレーヂ・インスペクションに、各会計係として勤務していたところ、昭和二十八年十月二十二日付で同廠司令官より解雇の通告を受けたこと、全日本駐留軍労働組合神奈川支部YED相模本廠分会は、同訴外人に対する解雇、(本件解雇)並びに訴外大城隆外三名に対する解雇はいずれも労働組合法第七条第一号違反であるとして、昭和二十八年十二月十五日神奈川県地方労働委員会に神奈川県知事を被申立人として救済の申立をしたこと、同委員会は昭和二十九年七月二十八日附で申立棄却命令(別紙第一記載)を発し、これに対して同組合は更に同年九月二十三日被告委員会に対して再審査の申立をし、被告委員会は訴外沖津に対する解雇は結局駐留軍が同人の活発な組合活動を注目し、ことさらに保安上の理由に藉口してなしたものであると判断し、昭和三十一年一月十八日附で、
「一、初審命令中沖津茂孝に関する部分を取消す、二、再審査被申立人神奈川県知事は沖津茂孝を昭和二十八年十月二十二日に遡つて原職又はそれと同等の職に復帰させ、かつ同日から復職にいたる期間に同人が受けるはずであつた給与相当額を同人に支給しなければならない。三、その余の再審査申立を棄却する」旨の命令(別紙第二記載)を発し、この命令書写は同三十一年一月二十八日神奈川県知事宛送達された。以上の事実は当事者間に争いがない。
二、沖津茂孝の解雇は同人の組合活動の故になされた不当労働行為である旨の被告委員会の認定に対し、原告はこれを争つて沖津茂孝の解雇は保安上の理由によるものと主張し、かつ駐留軍において保安上の理由で解雇する場合は現地の部隊司令官ないし労務士官の手をはなれ、極東陸軍保安委員会において軍によつて蒐集された資料に基いて慎重に検討し諸資料が完全に一致し一名の反対者もなく決定された場合に限られるのであるから、組合活動を理由とする差別待遇の意思をもつて解雇することはあり得ないと主張する。
成立に争いのない乙第三号証の八(附属協定第六九号)によれば、保安上の理由による解雇は指揮官の報告書に基き最終的には極東陸軍司令官の決定するものであることが認められ、また成立に争いのない乙第三号証の五によればその事実上の決定は保安委員会がなすものであることがうかがわれる。しかしながら諸資料中に組合活動に関する資料が含まれないとの事実を認めるべき証拠はなく、上部機関においては不当労働行為の意思を持ち得ないと断ずることを当然とすべき論拠もない。また下部組織である現地部隊が差押待遇の意図に基いて解雇の上申をなし、その上申に基いて解雇がなされるという因果関係の存しうる場合には、解雇決定者が右の上申と別箇無関係に意思決定をなしたという特段の事情がない限りやはり不当労働行為を構成するものと解するのが相当である。したがつて沖津の解雇が部隊の上部機関である保安委員会の決定によるとしても、その一事によつて不当労働行為の成立する余地がないと断ずることはできない。
三、そこで原告の主張する沖津の解雇理由について検討する。
原告は、駐留軍は沖津を基地内に継続して就労させることが米国の利益に反する(沖津はその解雇後に協定された昭和二十九年二月三日附労務基本契約付属協定第六九号第一条A項二号「米軍側の保安に直接的に有害であると認められる改策を継続的に且つ反覆的に採用し若しくは支持する破壊的団体又は会の構成員たること」に相当する)と判断し、沖津の解雇を決定したものであり、かつその認定資料及び具体的事実は米軍の軍機保護上原告側に提示されないけれども、その決定は米極東陸軍保安委員会の慎重な審議によるものであるから誤りのないものと主張する。しかしながら米軍の特別機関の審議によるものであるとの一言によつて沖津が保安上有害で書前記付層協定第六九号第一条A項二号に該当する客観的事実の存在を推認することはできないし、その他右解雇理由の具体的事実を認めるべき証拠がないから右事実が存在するとする原告の主張はこれを採用することはできない。ところで不当労働行為の成否の判定については不利益処分の決定的理由が使用者の主張する解雇理由によるものであるが労働者側の主張する差別待遇意図によるものであるかによつて決せられるのであるが、その判定は使用者の主張する解雇理由が一応存在するという一事によつて決定せられるものでない。労働者の団結権を保障した憲法の精神に鑑み、不利益処分を受けてもやむを得ないと認められるような労働者側の非難さるべき行動とか使用者の業務遂行上の特別事情のない限り、その表明された理由は単なる名目に過ぎないおそれがないとしないからである。
してみると、沖津に対する解雇の理由が保安解雇であつても、具体的該当事実がないためその妥当性を肯認するに由ないので直らにこれを解雇の決定附理由と速断しがたく、単なる名目に止まり他に解雇理由の存在することを疑わせるものというべきである。
四、よつて解雇がなされるに至つた経緯を更に考えて見ると
(一) 沖津の勤務したYED相模本廠には同所に勤務する駐留軍労務者をもつて全日本駐留軍労働組合神奈川支部YED相模本廠分会(のち全駐留労働組合神奈川地方本部相模原支部となる。以下組合と呼ぶ。)が組織されていたこと、沖津は昭和二十七年十月同組合に加入し、以来組合活動に従事し、同年十一月には同組合の副委員長、執行委員となつたことは当事者間に争いがない。
(二) 昭和二十七年十二月十一日及び十七日に駐留軍霧者の統一ストライキが行われ相模本廠分会もこれに参加したこと、当時沖津は組合の副委員長としてその指導に当つたことは当事者間に争いがない。
証人内藤巍、三村恵、沖津茂孝の各証言によれば、沖津は組合が実力行使に入れるよう努力し、ストライキに際しては、ゲイトのピケット隊の指導者として現場で指揮をとり、その行動は軍から目撃され、かつ写真などを撮られる状態であつたことが認められる。証人吉敷惣一の証言中右認定に反する部分は措信しない。
(三) 成立に争いのない乙第四号証の二ならびに証人内藤、三村、沖津の各証言を綜合すれば、右ストライキの約一週間後後、沖津はストレーチ・レバープールからストレーヂ・インスペクションに配置転換となる旨口頭で命令されたこと、これに対しレバープールの労働者たちはストライキにおける沖津の行動に対する措置としての配置転換であると感じて反対の署名を集めたこと、このときは配置転換はなされなかつたことが認められる。その後昭和二十八年一月初旬に沖津がストレーヂ、インスペクシーンに配置転換となつたことは当事者間に争いがない。
右配置転換の事情について証人吉敷、沖津の各証言を綜合すれば、沖津の職種である計理士の職務えの転換であること、インスペクションの労務者久保及が沖津の配転後退職していること、賃金等は配置後も変化のないことが認められるけれども一方、レバープールにおいて沖津の後任として二名が配置されていること、レバープールには約四五〇人の労務者がおり、沖津は毎日上司の指示により労務者に接して労務の割当をなしていたので、組合活動に便宜な立場にあつたが、インスペクションは労務者が約五人であつて、組合活動においては不便な状態となつたことが認められるので、配置転換をなす格別の必要ないのに拘らず組合活動を嫌悪し殊更に配置転換をなしたものと推察せざるを得ない。
(四) 昭和二十八年四月の組合の定例大会における役員改選の結果沖津が役員とならなかつたことは当事者間に争いがない。その事情について、証人三村、内藤、沖津の各証言によれば沖津が同年一月に配置転換となつたこと、その際承諾しなければ馘首される旨告げられたなどの経緯を考慮し、レバープールの職場労務者は沖津の役員就任が沖津に不利となることをおそれて立候補をやめさせることとし、そのため沖津は副委員長、執行委員ともに立候補しなかつたことが認められる。証人内藤、沖津の各証言によれば、その後沖津は執行委員八木某の名義上担当していた組合機関誌の実質上の責任者となつたことが認められる。
(五) 昭和二十八年八月十三日、同十四日に労務基本契約改訂等を目的とする駐留軍労務者の全国統一ストライキがあり、相模本廠分会も参加したことは当事者の明らかに争わないところである。証人内藤、三村、沖津の各証言によれば、沖津はストライキの以前より相模本廠分会に青年統一行動隊を組織しその隊長となつていたが、このストライキにおいては、青年統一行動隊長としてピケット現場の指揮激励ならびに地元民えの訴えなどに従事し、青年統一行動隊長の腕章と赤鉢巻とを着してトラックやオート三輪で各出入口を廻つて遊説するなど積極的に活動し、軍より目撃され、写真を撮られなどしていることが認められる。
(六) 昭和二十八年十月に国警相模地区上溝警察署の刑事である後藤某、遠藤某が沖津に質問調査をしたこと(以上は当事者間において争われない)について、原告は本件解雇と何ら関係がないと主張するのでこの点について検討すると、証人沖津、内藤の各証言によれは、沖津はこの際青年統一行動隊員名、組合の活動分子名などを尋ねられ答を拒んだが、この調査が米軍部隊守衛所において二回にわたり行われたこと、及び遠藤某らは時折部隊に出入していたことが認められ、したがつて右の調査の内容は一応軍に知られているものと推認するのが相当であり、本件解雇と全く無関係であるとは言えない。
(七) 以上認定した事実によれば沖津は活発に組合運動をなしていたものであつて、使用者である軍もこれに注目していたものと認められるので、前記のように軍の解雇理由になにら客観的妥当性を認めるに足りないこととを併せ考えれば沖津の本件解雇は軍が同人の組合活動を嫌悪しこれを決定的理由としてなした不当労働行為であると推認するのが相当である。しかして、成立に争いのない乙第三号証の九(いわゆる旧米労務基本契約)によれば、駐留軍労務者の雇入及び解雇は駐留軍の決するところに委せられていると認められるので駐留、軍の解雇決定が不当労働行為であるときは日本国のなしたと同様雇用者たる国はその責任を免れることはできないと言わねばならない。
五、以上のように沖津に対する本件解雇は不当労働行為と認定すべきもので、被告委民会が前記のような命令を発したことは相当であるから、同命令の取消を求める原告の本訴請求は失当である。よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田政道)
(別紙一)
命令
申立人 神奈川県高座郡相模町淵野辺九七二番地
全駐留軍労働組合神奈川地区本部相模支部
執行委員長 内田茂吉
被申立人 横浜市中区日本大通り
神奈川県
代表者知事 内山岩太郎
右当事者間の昭和二十九年神労委不第一号神奈川県庁(YED相模本廠)事件につき、当委員会は、昭和二十九年七月二十八日第百八十一回公益員会議において公益委員林信雄、同福田四郎、同佐藤豊三郎、同久保田国松、同千葉堅弥出席し、合議の結果、つぎの通り命令する。
主文
本件申立は、これを棄却する。
理由
一 申立人の主張の要旨
申立人組合は昭和二十七年十二月の年末闘争に引続いて昭和二十八年八月労務基本契約闘争には四十八時間ストを実施し不断の闘争を続けてきている。そして十一月十二日には職変闘争と共に、労務基本契約、年末手当、ベースアップの獲得闘争を推進してスト権を確立したところ、その前後にわたつて被申立人は申立人組合の役員並に活動分子を次の如く保安解雇として不当なる首切を強行してきた。
(1) 沖津茂孝(青年行動隊長、旧副委員長)
昭和二十七年十二月闘争においては副委員長として積極的にスト指導に当り昭和二十八年四月の役員改選によつてその職を退いた後は機関紙発行に鋭意努力を重ねた。そして八月の労務基本契約闘争に当つては相模地区四分会の統一青年行動隊長として積極的活動を行つた。ところが国警相模原地区警備係の不当なる干渉の上、十月二十二日に至り保安解雇に処せられた。
(2) 大城隆(執行委員)
守屋基一(職場委員)
小島薫(闘争委員)
岩田恒雄(職場における活動分子)
大城は執行委員として一年有半に亘る荷扱夫を陸仲仕に職種変更する闘争並に前記八月闘争に於て常に先頭に立つて闘つてきた。守屋、小島は夫々職場の委員、斗争委員として最も首切の多い不安定な職場組合員を率いて八月闘争に、或は給与不均衡是正の闘争に積極的に活躍し、シヨツプGIから、〃お前はアカだ、首にする〃等と睨まれていた。更に岩田は組合加入前は特殊車輛修理工として同一職場全員十五名と共に職場の明朗化並に給与是正の問題等をとりあげて活躍し、全員組合加入の後は進んで団交、労協等にも出席し、前記の職種変更闘争にる積極的に闘つて来た。しかるに被申立人は上記四名を含む八名に対して十二月三日「保安上の理由」による解雇をもつて臨んで来た。
以上の解雇は何れも「保安上の理由」というかくれみのをきているがその実は組合活動を嫌悪してなされた不当労働行為であつて申立人組合の弱体化を狙うものである。このことは軍による組合役員のみの「第三国人身上調査」の実施とか、沖津の如き作業成績優秀として表彰せられた者の解雇等によつても窺知し得る。
よつて
(1) 被申立人は被解雇者沖津茂孝、大城隆、守屋基一、小島薫岩田恒雄に対する解雇を取消し原職に復帰せしめること。
(2) 被申立人は被解雇者に対し解雇後原職に復帰するまでの期間の賃金を支払うこと。
との救済を求める。というのである。
二 被申立人の主張の要旨
被申立人が沖津茂孝、大城隆、守屋基一、小島薫、岩田恒雄等の如き駐留軍労務者を雇用するのは日本政府と米国政府との間に締結せられている「日本人及びその他の日本在住者の役務に欄する基本契約」に拠るのである。而して被申立人は前記五名の組合活動は不知であり、被申立人が前記五名を解雇した理由は、米国駐留軍の相模原YED施設において、同部隊が保安上の故を以て前記五名の就労を拒否しているからである。このことは前記基本契約第七条に規定せられるところであつて、かかる場合はその雇用は終止され、而もこの雇用を終止する駐留軍の決定に最後的なものである。被申立人としては、解雇理由の具体的開示を軍側に対して再三交渉したのであるが、遂に聞き得ずやむなく解雇するに至つたのであつて、その経過は次の通りである。
(1) 小島薫、大城隆、岩田恒雄、守屋基一について
昭和二十八年十二月一日同日付で四名保安解雇の文書通告があつたので、解雇理由の内容について照会したところ、この指令は土部軍機関から発せられたもので現地軍としては如何ともしがたいとの回答があつた。そこで手続上三日付延期方を申入れて変更し、労基法第二十条によつて即日解雇とした。よつて同日該当者に対して保安解雇について説明し質問にも答えた。ところが年末手当支給方について依頼があつたので、軍と折衝することとした。二日、さらに保安解雇に関する指令の出所について再確認するとともに、年末手当支給について折衝し、その結果十五日迄無給在籍として支払うことになつた。三日、さらに、申立人組合書記長も含めて該当者に対して保安解雇に関する説明をすると共に、四日から十五日までの無給在籍については、本人の自由意思に基いて欠勤届を提出して貰うことにしたところ、全員より提出があつた。なお、退職手当についても年内受給の申出があり、十五日付退職金申請書を提出したので同日付支払を完了した。従つて四名については異議なく解雇予告手当並に退職手当を受領しているものであつて、解雇は承諾するとごろであり、申立人の主張は被救済利益の喪失という点からも当を得ない。
(2) 沖津茂孝について
沖津は昭和二十五年以降、計理士として勤務中、昭和二十八年十月二十二日「保安上の理由」によつて解雇されたものである。これについても被申立人は解雇理由及び指令の根拠について極力折衝を重ねたが不明であつて、本人に対しても説明したところ、同日解雇予告手当を受領し、退職金についても十一月二十八日本人の申請により支払を完了した。
但し、沖津の場合のみは前記受領に当り労委提訴を述べて異議を留めた。
以上の通りの経過であつて、本件解雇に当つては、何れも、被申立人としては解雇理由について極力軍と折衝したのであるが「保安上の理由」によるもので如何ともし難く解任したものである。従つて本件は不当労働行為ではないから棄却せられることを求める。というのである。
三 当委員会の判断
申立人組合が救済を求める沖津茂孝、大城隆、守屋基一、小島薫、岩田恒雄は、何れも所謂駐留軍労務者であつて、YED相模本廠に勤務し、沖津は昭和二十八年十月二十二日、その他の四名については十二月三日、夫々「保安上の理由」によつて解雇せられたことについては両当事者に争がない。
本件解雇について申立人組合は、前記五名が組合役員或は活動分子であつて、何れも組合活動を積極的に推進したと主張するので、この点についてみるに、
(1) 沖津茂孝
申立人組合の主張並に本人の口述書によれば、沖津の組合歴は副委員長、機関紙担当、青年行動隊長等であつて、従来の申立人組合の闘争におけるその指導的立場からすれば、その活動は活発なものであつたことは容易に認められるところである。
(2) 大城隆
大城は沖津と同一職場からその辞任後執行委員に選出されたが、それ以前においても、昭和二十七年十二月のストに際して闘争委員であつたことが認められる。さらには職場委員にも歴任し、その活動も一応活発であつたことが窺われる。
(3) 守屋基一
守屋については労働強化を強いるGI追放署名運動、人員整理反応運動資金カンパ等の事実が認められ、職場委員にも選任せられていて、その活動は比較的顕著であつたと認めることができる。
(4) 小島薫
小島は教育宣伝部員、闘争委員であつたことが認められその間給与是正闘争における資料作成の指導或は基本契約改訂闘争における教宣活動等に当つていたことが証言書にも明らかであつて、その組合活動は相当積極的であつたと認めることができる。
(5) 岩田恒雄、
岩田については組合加入前の給与是正運動の主張があるが全職場員十五名の中で特に岩田が積極的であつたとする主張は見当らず、組合加入後、団交や労協に出席していたというだけではその活動が顕著であつたとするには不十分である。
以上のように該当者の組合活動は、被申立人の不知との主張にもかかわらず、岩田を除いては、一応その活動が積極的であつたということはこれを認めることができる。
しかしながら、被申立人の主張によれば、本件解雇は駐留軍によつて「保安上の理由」に基くものとして被申立人に通知され被申立人は直ちに現地軍にその内容につき照会したが、それは当該現地部隊の認定ではなく、上部機関へ極軍司令部参謀部)よりの指令によるものであり、現地軍としては如何ともしがたいとし、内容についても軍機上の理由で明かにされなかつたので、やむを得ず解雇の手続をとつたというのであつて、このことは審問の過程において当委員会審査委員によるキヤンプ横浜労務連絡士官ゴツドセイ少佐との会見によつても確認し得たところである。駐留軍は日米行政協定第三条により協力な基地管理権を持つところであるから、軍が「保安上の理由」を堅持して解雇を取消さない以上、被申立人のとつた解雇手続はやむを得ないと認めざるを得ない。けだし駐留軍労務者の雇傭関係は軍における使用を前提としてはじめて存在するものであるからである。以上の如くであるから、通常の解雇事件と異り、被申立人において解雇理由の具体的内容を知ることを得ないまま解雇の措置をとる外なき本件の如き場合は労働組合法第七条第一号に該当するということはできない。
惟うに、本件の如く、一方被解雇者の労働組合活動が、一応顕著であり、他方解雇理由たる「保安上の理由」が全然開示されない場合、被解雇者等が「保安上の理由」に藉口した不当解雇であるとの疑念を抱くのは尤もなことであつて、駐留軍が「保安上の理由」に基き解雇するに当つては、行政協定第十二条第五項に基き、駐留軍労務者の労働権を充分尊重し、その労働組合活動を理解する見地に立つて、調査の慎重と出来得る限りの理由の開示によつて如上の疑念の起る余地のないよう、最大の努力とを期待するものである。よつて中央労働委員会規則第四十三条により主文の如く命令した次第である。
昭和二十九年七月二十八日
神奈川県地方労働委員会 会長 林信雄
(別紙二)
命令書
神奈川県高座郡相模原町淵野辺九七二
再審査申立人 全駐留軍労働組合神奈川地区本部相模支部
右代表者執行委員長
内田茂吉
神奈川県横浜市中区町本大通り
再審査被申立人 神奈川県知事 内山岩太郎
右当事者間の中労委昭和二十九年不再第三十三号再審査申立事件につき、当委員会は、昭和三十一年一月十八日第二四七回公益委員会議において、会長、公益委員中山伊知郎、公益委員細川潤一郎、同藤林敬三、同吾妻光俊、同佐々木良一、同中島徹三、同小林直人出席し合議の上左のとおり命令する。
主文
一、初審命令中沖津茂孝に関する部分を取消す。
二、再審査被申立人神奈川県知事は、沖津茂孝を、昭和二十八年十月二十二日に遡つて原職又はそれと同等の職に復帰させ、かつ同日から復職にいたる期間に同人が受ける筈であつた給与相当額を、同人に支給しなければならない。
三、その余の再審査申立を棄却する。
理由
一、再審査申立人全駐留軍労働組合神奈川地区本部相模支部(以下組合という。)の組合員沖津茂孝、大城隆、守屋基一、小島薫及び岩田恒雄の五名は何れも再審査被申立人神奈川県知事に雇用され、在日米軍YED相模本廠(以下相模本廠という、)に勤務するいわゆる駐留軍間接雇用労働者であつた。
沖津は、昭和二十七年二月十五日から右相模本廠のストレーヂ・レパープールに勤務し、翌二十八年一月頃ストレーヂ・インスペクシヨンに配転、事務関係の仕事に携つていた。大城は昭和二十六年一月十九日から在日米軍YED神奈川に勤務同二十七年五月十九日相模本廠に転じ、ストレーヂ・レバープールに荷扱夫として勤務していた。守屋は、昭和二十四年七月一日から相模本廠のR&ポストエンヂニヤに機械工として勤務し、シヨツプフオアマンとなつた。小島は、昭和二十四年二月から相模本廠のR&ポストエンヂニヤのレバープールに荷扱夫として勤務していた。岩田は、昭和二十八年七月二十一日から相模本廠ストレーヂC&Pに機械工として勤務していた。
二、保安解雇の経緯は左の通りである。
(1) 昭和二十八年十月の保安解雇
同年十月二十日、沖津は、軍側から保安上の理由によるとして突然解雇の予告を受け、さらに翌二十一日に前日の予告を取消し改めて即時解雇の言渡を受けた。知事側が直ちに本人の解雇理由等につき軍機関と折衝したが何ら明らかにされないまま、同人は翌二十二日付をもつて解雇された。
(2) 同年十二月の保安解雇
同年十二月一日、突然軍側労務士官から、相模原渉外労務管理事務所長あて、大城、守屋、岩田を含む八名の者を保安上の理由により解雇する旨交書により通告された。知事側は直ちにその根拠及び解雇理由の内容につき軍側に照会したところ、上部からの指令で現地軍としては如何ともし難い、十二月三日付で解雇する、との回答がなされたが、結局八名の者は同年十二月四日から十五日まで無給の欠勤として扱われ同月十五日付をもつて解雇された。
(3) 解雇理由
前記十月解雇及び十二月解雇の解雇理由については、当時いずれも保安上の理由とされた外は、何らその具体的内容を明らかにされていないが、本件再審査の過程において、合衆国極東陸軍司令部副官部大佐J・H・バンビルから調達庁労務部長百田正弘あて昭和二十九年八月十日付文書により「極東保安審理委員会は、守屋基一、小島薫、大城隆、沖津茂孝及び岩田恒雄の件を審議した結果、当該者全部は基本労務契約の一九五四年二月二日付附属協定第六九号第一条a(2) に該当することに決定した」旨通知された。右附属協定第六九号第一号のa(2) には「A側(軍)の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的に且つ反覆的に採用し若しくは支持する破壊町団体又は会の構成員たること。」と規定されており、結局解雇理由は被解雇考等が「破壊的団体又は会の構成員」であるというにある。
三、次に本件解雇と不当労働行為の存否について検討する。
(一) 十月解雇について
沖津は、昭和二十七年十月、組合の前身である全日本駐留軍労働組合YED相模本廠分会に加入し、以来組合活動に積極的に従事し、同年十一月副委員長兼執行委員に推され、同年十二月の年末闘争においては、レバープールにおいてストライキをかけて闘うことを提唱し、同年十二月十一日及び十七日、駐留軍労働者の最初の全国統一ストライキが行われた際には、副委員長として全般の指導に当つたばかりでなく、ピケ指導部長として活動した。そのため同人は軍側から注目され、ストライキ直後十二月下旬突然配置転換を命ぜられ、組合の署名運動によりその企図は一旦中止されたが、翌二十八年一月初旬遂にストレーヂ・レバープールからストライキ・インスペクシヨンへ配置転換となつた。そこで同年四月の組合役員改選には組合は軍側の沖津に対する注目を憂えて、同人を従来の役から退かしめ、爾後同人は組合機関紙の責任者となつた。
然るに同年八月労務基本契約改訂等の闘争が激化するや相模地区四分会(モータープール、スペアパーツ、キヤンプ淵野辺、YED相模本廠)の統一青年行動隊長に就任し、ストライキ当日はオート三輪、トラツク等に便乗し、積極的に教宣活動を行つた。なお、同年十月九日頃、国警相模地区上溝警察署の警備係刑事後藤、遠藤の両名から、組合活動分子、青年行動隊の内容等について質問されて拒否し、同月十二日同刑事等から再度質問されたが、これを拒否した事実がある。
以上の如く、沖津の組合活動は極めて活発に行われてきたものであり、軍側もこれに着目していたものと認めることができるが、再審査被申立人が、その解雇理由として主張する保安上の理由の根拠としては、前記軍側書簡以外に何らの疎明がないばかりでなく、書簡の内容中「破壊的団体又は会」」とはいかなるものを指すかについても、それは軍側の判断するところであつて再審査被申立人の関知するところでなく、又折衝して右軍側では、それ以上明らかにしないと釈明するのみであるから、右沖津に対する解雇の真の理由が保安上の理由によると認めることは不可能である。してみれば結局、軍は沖津が副委員長となつて以来その顕著な組合活動に注目していたが、沖津は昭和二十八年四月、役職を退いてもなおその組合活動をやめず、更に同年八月のストライキの際には青年行動隊長として顕著な活動を行つたので、これに着目した軍は、右ストライキの終了後間もなく、ことさらに保安上の理由に藉口して同人を解雇するに至つたものと推認せざるを得ない。
(二) 十二月解雇について
十二月解雇においては、被解雇者八名中四名がその保安解雇を認めており、また解雇の時期も同年の組合活動の高潮期と目される八月ストライキから三カ月以上毛ずれている等、諸般の事情においてすでに十月解雇ともるものがあり、被解雇者等の組合活動が直ちにその真の理由であると認定することは困難である。これを個々人について検討するに、
1 岩田
岩田については、昭和二十八年九月に組合に加入し、組合加入からその解雇に至るまでの期間は約三カ月、その間職場の問題について組合と連絡し、会合に出席した程度の行為があつたのみで、軍側から特に注目されるような組合活動がなく、到底その組合活動が本件解雇の理由となつたものとは認め難い。
2 守屋
守屋については、昭和二十七年十二月ストライキに際し組合加入、翌二十八年始め頃の職場の人員整理反対活動に携わつたが、同年八月のストライキにおいては特に活発に活動したとも認められず、単に職制追放の強硬意見を述べたというに止まり、又ストライキの後も特に軍側の注目を引くような組合活動をしたとは認め難く、以上の程度をもつては、未だもつて本件解雇の理由がその組合活動にあるとは認定でき難い。
3 小島
小島については、昭和二十八年六月組合に加入し、組合加入からその解雇に至るまでの六ケ月程度の期間の組合活動としては、昭和二十八年八月ストライキの際の教宣部員としての行為、同年十月の給与是正資料の作成等の程度で、それが特に軍側の注目をひき本件解雇の理由となつたものとは認め難い。
4 大城
大城については、昭和二十七年十二月スト二十八年八月ストに参加し、ピケに携つた外、職場の組合活動に従事し昭和二十八年四月には執行委員となつていたことが認められるが、執行委員として団交に出席したことも殆んどなく又八月ストライキにおいて特に軍側から注目されたと認められるべき事情もなく、更に、右ストライキ後の行為としては、十月頃職場交渉において職制と交渉した事実は認められるがそれだけでは未だもつてその組合活動本件解雇の真の理由であつたとは断じ難い。
四、以上のとおり、沖津に対する本件解雇は、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であると認められ、大城、守屋小島、岩田に対する本件解雇は不当労働行為であるとは認め難いので、初審命令を一部変更し、労働組合法第七条、第二十五条、第二十七条及び中央労働委員会規則第五十五条を適用して主文のとおり命令する。
昭和三十一年一月十八日
中央労働委員会 会長 中山伊知郎